プラハの共産主義博物館 弾丸チェコ・スロバキア⑥

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プラハ二日目。ドミトリーには結構豪勢な朝食がついていて(といっても食パン、ハム、チーズ、マーマレード)しっかり糖分補給したので、頭と体で消費すべく共産主義博物館へ。
共和国広場の近くにあるので、市場の屋台で何か買って食べるのもいいかも。

入り口を通って階段を上ると共産圏の象徴ともいえる赤い星とレーニンがお出迎えしてくれます。
ソ連といえばみんな大好きヨシフおじさんこと、スターリンのイメージが強いですが、ソ連建国の父はレーニンなのだそう。(かくいう僕もスターリンだと思っていた)

いかにもソ連国家の「デェェーン」というイントロが流れてきそうな景色(笑)

ソ連国歌訳と内実は上の動画参照。

僕も地理選択なのでまどろっこしい話はあんまりできませんが、要約すると
第二次大戦中にできたチェコスロバキア政府はアメリカにもソ連にもサポートされてできた国で、戦後クーデターもあってソ連主導の政権になった。
その約20年後に、ソ連の指導者スターリンが死んだとき、社会主義の原理では行ってはいけないとされる「個人崇拝」をスターリンがやらせていて、従わない人は罪人として処刑されていた(大粛清)ということが明らかにされ、ソ連の求心力が一時的に落ちた。
この時にチェコの新首相が「チェコ人のための共産主義国家にしよう」という方向性を打ち出したことから改革が進む(プラハの春)。これを面白くないと思ったソ連が「1956年のハンガリー(ハンガリー動乱)と同様お前もボコボコにしてやろうか」と脅し、いったん和解するが1か月後くらいにワルシャワ条約機構(要はソ連中心の連合国軍)が軍事的に侵攻()、新政権はだんだん勢いをなくして結局元に戻った。
これを機にチェコでは秘密警察が大量発生し、政府の悪口はたたけなくなったものの、大通りで焼身自殺を図る者が出たり、アイスホッケーでソ連に勝った時に街頭で大騒ぎになったりと憎しみが増えたそう。
結局チェコがソ連から解放されたのはさらに20年後、1989年のソ連崩壊のことでした。
参考URL:
世界史の窓;チェコスロヴァキア
      プラハの春
      チェコ事件
5分でわかるプラハの春
スターリン批判-Wikipedia
プラハの春-軍事介入とその帰結
チェコ激動20年のドラマ

前述のとおりハンガリーもチェコももとはといえばソ連主導の国家なので、地下鉄の駅の造りやら何やらが似通っているのですが、
医療器具のゾーンはまさに自分が留学で行っているハンガリーの大学とそっくりそのままな感じで、画一化による人の汎用性の良さの反面、社会構造の闇を感じました。

コロナで布マスクがなんだ、ビニールの使い捨てガウンがないだと巷では大騒ぎですが、部門や場所によっては今でもハンガリーでは布ガウン、布マスクで手術をするらしく、まぁ言ってしまえば50年前と変わらない景色がそこにあるわけです。
もっとも、ほとんどの書類作業はオンライン署名やメールなど電子化されている点で、印鑑やFAXなどを多用する日本よりは進んでいるともいえますが(笑)

秘密警察が増えた影響で、政府の悪口をするときには誰も周りにいないことを確認してしゃべっていたようですが、(隣の奥さんと立ち話してたらその人に密告されて逮捕なんてこともありえた)この傾向はハンガリーでも同様で、癖になったのか今でもハンガリー政府の話をするときは小声になったり周りをチラチラ見ながらしゃべる人がチョコチョコいましたね汗
KGBなどのスパイ組織も流れ込んでいたみたいで、当時の様々なスパイグッズの展示もありました。写真はビデオカメラに似せたマシンガン。

その当時の様子や人々の暮らしぶりが実際の写真やモノ、映像などをを交えて新聞記事調に展示されていました。タイムラインに沿って歴史の道、迷路を歩くかのように展示が並べられているので史実をすっ飛ばして読むこともなく理解しやすいです。

こんな博物館を作るぐらいだからさぞチェコ人はロシア文化が嫌いなのだろうと思っていたんですが、街中にはマトリョーシカ屋さんが所狭しと並んでいて、さらにはお土産屋さんではソ連兵の帽子やソ連国旗のデザインのパンツまで売っていて(買った笑)、自国の黒歴史を笑い飛ばして金にするチェコ人の国民性(?)を見た気がしました。

手ごろな飯屋が見つからなかったので路面電車で中央駅へ向かいます。

駅のレストランではチェコビールを一杯と

東欧名物グヤーシュにラムチョップを頂いて、隣国となったスロバキアはブラチスラバへ向かいます。

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