独裁者の館

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しばらくぶりでした。結構編集サボってました。結構暑い日が続いていて、部活の練習もウォームアップだけで結構な負荷です。気温ごとの適切なウォームアップメニューってないんでしょうか…

今回の豪雨災害で非難されている方は何よりも熱中症に気を付けてほしいところです。水に加えてスポドリのパウダーなんて支援物資にあるといいかもですね。

さて、今回も前回の続き。

ブカレスト観光がひと段落し、予定の時間になったので国民の館へ向かいます。

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駐車場の人のサイズと比べるとその大きさがよくわかります。遠近法を無視したサイズ感とはまさにこの事。この大きさで未完成というのが一番の驚き。

この建物は国民の館と呼ばれていますが、正式には「議事堂宮殿」という立派な“宮殿”なのだそう。幅275m、奥行き235m、高さ84m、地上10階、地下4階建て、延べ床面積の総計は33万平方メートル、部屋数3107室、アメリカの国防総省(ペンタゴン)に次ぐ世界第二位の大きさを誇る巨大建造物で、建設費用は当時の日本円に換算して1500億円、とかいう色々桁外れな建物です。

これを造れ!と言ったのが、先日の記事でも登場した独裁者チャウチェスク。日本で言うなれば室町期にできた金閣のような勢いで作ったんでしょうが、何せ貧困のルーマニアだったのでなんとかその権力を誇示したかったんだと思います。

Wikipediaで調べてみるととても面白いのですが、チャウチェスクはもともと結構なやり手の政治家で第二次大戦後の東西冷戦の中、資本民主主義の西側諸国(アメリカとかイギリスとか)に1番初めに認められた社会主義国家だったそう。ソ連関連国の内部の対立の間にも西側から融資を受けたりしてたら借金返せなくなって、最終的に独裁になった、というのが概観。うーん、北のどこかの国で聞いたことのある話…

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厳重なセキュリティチェックを抜け、ガイドさんに釣れられてきたのはメインホール。こういうところで講話をしていたのでしょうか。今ではシンポジウムなどに使われているとか。

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ホールを抜けたところの廊下。大きな柱の裏は報道用のインタビューゾーンになっていました。とにかく天井が高い!照明は全部シャンデリアで、絵画や高価そうな装飾品が所狭しと並んでいます。今時美術館でももう少し余裕がある気がする。

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角柱のごつい柱、ピカピカの床、レッドカーペットにシャンデリアと内観はまさに現代の宮殿です。

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こちらが会議場。現在でもちょこちょこ使われているそう。

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いろんな会議室をつなぐメインホールはこんな感じ。ここで気づいたんですが、この建物、全部大理石でできている!とにかく絢爛豪華にこだわったお屋敷だということがよくわかりました。

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こちらも会議場。先ほど同様、こういう会議場は入り口から見て一番上手になる奥に国旗があって、そこに一国のリーダーが座るというのが普通だと思うんですが、チャウチェスクは絶対に一番奥に座ろうとしなかったとか。理由としては窓から暗殺者の銃弾が飛んでくるかもしれないからと。

画像中央右にあるドアに一番近いところに座り、何かあったらそのドアから逃げるというのが非常事態時の彼の行動だったとか違うとか。

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ここが一番宮殿っぽいかも。戴冠式や勲章授与に使いそうな大きな部屋です。

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バルコニーに出てきました。このバルコニーから大統領は演説をし、国民に向かって手を振っていたとか。

みんな道路に向かって手を挙げてる写真を背中からとってもらってました。もちろん僕も。

ちなみにルーマニアでクーデターが起き、逮捕されたチャウチェスクは最期まで自分が国民のためだけに努力していたことを言い張っていたそうです。

共産主義、理論では面白い考え方なんですがどうしてもうまくいかないところがあるようです。

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バスで空港に戻ったらまたオンボロTAROMのプロペラ機で帰ります。

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ブダペスト―デブレツェンの電車はハリポタに出てくるような個室式でした。超弾丸ルーマニア紀行もこれで終わりです。

次回は真面目に日本とハンガリーの医療の違いについて、スペイン・ドイツのサッカー観戦記か、もしくは今回僕が使った奨学金、トビタテ留学JAPANの応募ポイントについて書こうと思います。どれになるかはお楽しみに。

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